NOTHING IS EVERYTHING

平成28年1月、家族3人で明日香村に移住。自然に囲まれ自由に楽しく、人間活動中。

日本人として生きる事が、消費を抑え幸せな人生を創る。

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現在の明日香の自宅は、以前住んでいたマンションよりも面積的に小さく、引っ越す際には断捨離と言うことでかなりの量の物を処分したが、それでも綺麗には収まりきらなかった。

いかに必要の無い物をため込んでいたか、無駄な消費をしてきたか、棄てられるそれらを手に入れる為に、どれほど無駄に時間を費やしたかがよく分かった。

この家に住むには「必要最小限の物を持つ生活」を続ける事が必要で、それは自動的に「消費を抑える」と言う事に繋がっていく。欲しいと思っても、本当に必要では無い物は、置く場所が無いから買わずに済む。

最近独身時代からの友人や知り合いに久しぶりに会うと、皆同じ事を言う。

「何か面白い事ない?」

疲れているんだなぁ、とその言葉を聞く度に思う。

皆、家や車のローンを抱え、遅くまで働いて支払いをしている。残業したり、休日を返上して働かないと現在の生活は維持出来ないので、本人達に取ってそれは当たり前の事なのだろう。家族の為、とても頑張っていると思う。でも、その消費→支払いのループの日々で、家族が皆疲れてしまっている。子供までが疲れている。

幸せになる為の消費で、家族が疲れるのは何故なのか。「消費」とは何なのか。

現在地球上で起きてる紛争や環境破壊と呼ばれるものは全て、人間のとんでもない量の「消費」が根本の原因であると思っている。しかし、自分一人で世界を変える事は不可能。この小さい島国、日本を変える事も出来ない。

ではどんな事なら出来るか。

今、自分に出来る事は「意識」を変え、とにかく無駄な消費をせず、楽しく自由に生きる事。

家族や友人との時間を大切にし、小さな事でも幸せを感じながら生きる事。

足るを知り、必要以上には欲しがらず、造れるものは自分で造り、必要最低限の物を持ち、それらを大切に生活する。

そういう生き方をする事は出来る。

しかし考えてみれば、日本人とは元来、そのような民族であったのではないだろうか?

100年〜150年程前には、世界から「日本人は貧しい。だが高貴だ。世界中の民族を一つだけ残すなら、日本民族だ」と言われた程、貧しくとも清く、美しい生き方をする民族だった。

現在では、「日本人は西洋の良い所も悪い所も全部取り入れて、自国の良い所を無くした民族だ」と言われている。

それでも、原爆を落とされ戦争に敗れ、占領された焼け野原から這い上がり、世界一の経済大国まで発展出来たのも、日本民族であったから出来たのだと思う。

戦後70年。有難い事に生き方も選べる時代。

一部の富裕層の生活は、どれだけの犠牲の上に成り立っているのだろうか。

必要以上の金稼ぎや経済至高主義は、家族や友人との時間を引き換えにする程、大切なものなのだろうか。

今も戦争状態にある国もあるなか、日本に生まれた事はとても幸運だ。

3年前に生まれた息子も、もしシリアに生まれていたらどんな人生だったか。

同じ日本としても、70年、80年前に生まれていたらどんな人生だったか。

そういう事を考えると、贅沢な生活や必要以上の消費が、いかに価値の無いものかが分かってきて意識が変わる。

意識が変わると、質素な生活や倹約した消費こそいかに価値が有る事なのか、美しく生きるとは何か、先祖へすべき感謝の大きさ、そして本当の豊かさとは、幸せとは何か。そういう事に気づく事が出来るようになった。

「武士道」「清貧」そういうものが忘れさられたと言われている現代日本。

しかし2600年以上の歴史で先人が積み重ねてきた精神は、日本人のDNAに深く刻まれているはず。

まずは本来の日本人としての精神を大切に考え、生活を考え、少しづつ実践して行く。日本人らしく生きる事で、現在の「莫大な使い捨ての消費」を抑えて、より豊かに、より楽しく生きていける一歩となり、積み重なっていくと実感している。

江戸時代の生活に戻ろうと言っているのでは無い。今の、平成の時代に合った日本人の生活が現状とは別にあるはずだ。

「何か面白い事ない?」

そんな想いを腹に溜めながら眠りにつく人生よりも、

今日する事にワクワクしながら目が覚める人生の方が、

楽しく、自由で、幸せなのは言うまでもない。

 

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